空海ウォーカーズ4番・大日寺

◆歴史コラム・阿刀大足(あとのおおたり)◆

空海は母方の叔父さん、学者であり伊予親王の教育係である阿刀大足を頼って平城京に行き学問を習いました、17歳で大学の明経科に入りますが優秀な成績を収めるもやめてしまいます。山林で仏道の修行を積み30才になった空海は唐土に渡り本当の密教を習うべく遣唐使船に乗る事を叔父に頼み込む。阿刀大足は桓武天皇のブレーンでもありコネを使い空海を遣唐使の留学生として送り込みます。

大坂から出航して九州から第二船に最澄が乗り込みます。空海は20年の予定の自費留学生、最澄は1年の予定で朝廷より大金を貰って奈良仏教を打倒する使命を帯びて遣唐使船に乗船します。

無事に帰ってこれるのは半分以下と言われる遣唐使船ですが4船出航した内に唐にたどり着いたのは空海の福州に流れ着いた第一船と最澄の第二船のみ、最澄の第二船の世話係として菅原道真のおじいさんも乗船していました、乗る船がもし違っていたら、日本の宗教界は現在とは全く違う様相になっていたでしょう。


青龍寺で恵果阿闍梨は空海に密教を伝授します。空海は密教を一早く日本に伝える為に20年の予定の留学を2年で切り上げて帰国する、同時に唐にいった最澄は1年で先に帰国しています。空海は帰国途中九州田ノ浦で桓武天皇の崩御を知り、平城天皇の世になり日本の政治情勢が変わった事を知ります。平城天皇は密教ならすでに最澄が持ち帰ってるとして、空海を大宰府に留め置きます。

伊予親王は後に平城天皇に謀反の疑いで幽閉され絶食し自殺、今も京都の上御霊神社に祀られています、平安時代は平安ではありませんでした。阿刀大足もこの後は歴史から姿を消しています。伊予親王の謀反の連座から逃れて空海のいる大宰府に逃げてしまいます。

この後、平城天皇は伊予親王の祟りを恐れ気がおかしくなり、自ら頼んで嵯峨天皇へと譲位します。嵯峨天皇の即位により空海はようやく都へ戻り、阿刀大足は空海の元で事務局長のような立場となりました。平城上皇が奈良に移り重祚を目論んだ時に、空海は鎮護国家の祈祷をし、嵯峨天皇は平城上皇に先んじて坂上田村麻呂を派遣して薬子の乱を鎮圧しました。



弘法大師空海の開基で本尊は秘仏で空海彫刻の大日如来です。


山門の上方に鐘が埋め込まれるようにしていて、手前の紐を引くと鐘をつける。


大日寺薬師堂・・


本堂・・1~5番の内で一番遠く人里離れた山林の中にあります。


大日寺本堂・・

大日寺は山をゆるやかに登る車道を歩いていきます、1~3は結構近い位置にありますが、そこから4と5番に行くには歩いたら1時間半はかかる距離です。幸いバスがあったので短縮する事ができました。30分くらいなら歩きで1時間以上となれば帰りの時間もあるし利用できる交通機関があればそれに乗る事にしました。但しバスはあっても1時間に1~2本あるかないかでこれもタイミングによります。レンタカー借りれば早いのでしょうがあまりお遍路の意味もなくなりますので悩ましいところです。


空海ウォーカーズ

お遍路を通じて空海の足跡をたどり実像に迫ります。

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