空海ウォーカーズ6番・安楽寺
◆歴史コラム・泰範(たいはん)◆
空海の十大弟子の一人である泰範はもとは最澄の愛弟子でした。高雄山寺で最澄は空海より灌頂を受けます、後に空海の密教を学ばせる為に泰範・円澄・光定を送り込みます。このうち泰範だけは最澄の元には帰らずそのまま空海の弟子となります。
理趣釈経(りしゅしゃつきょう)の貸し出しを長文の手紙で断られた最澄は高雄山寺を訪れますが、理趣釈経の貸し出しは文字では伝わらず危険であるとして断ります。最澄は最後の伝法灌頂を受けるのはいつになるかと問いますが空海は三年はかかると言います。空海自身は三か月で受けたではないかと言うと、それ以前に密教の修行は続けていたからこそ3か月で伝法灌頂を受けたと答えます。
最澄は天台宗の一部として密教を位置付けますが、空海は密教が全てとして相容れません。ここで二人の関係は悪化し決別します。最澄は泰範を連れて帰ろうとしますが泰範は「おゆるしください、泰範はこのまま空海の弟子になり密教を学びとうございます。」
最澄は自分の後継者と思っていた泰範に背かれ空海に「あなたは私の愛する者を奪っていった!」と高雄山寺を去っていきました。これは映画「空海」における名場面ですので空海目線で描かれています、最澄は最澄で言い分はあろうかと思います。
映画「空海」で暗に最澄と泰範はボーイズラブ的に描かれています。最澄の高弟の義真は通訳も兼ねて最澄と唐に渡っていますが、後年空海の甥である円珍を弟子にしています。円珍は真言宗ではなく天台宗を選び第五代天台座主、天台寺門宗の宗祖となります。
◆5番安楽寺・開基弘法大師◆
このお寺には弘法の湯があり宿泊施設も併設してあります。815年に温泉が出て諸病に効能があったことから空海がとどまり薬師如来像を刻み堂宇を建立しました。
この日は高速バスでJR徳島駅まで移動し、バスに乗り1時間くらいかけ東原停留所で降りました。バスは3人くらいしか乗ってこず、最後の方は私たちだけになり貸し切り状態でした。
本日は5番~10番まで日帰り予定です。
安楽寺山門・・竜宮城のようです。ここの2階部分は通夜堂と言って無料宿泊施設になっています。
仁王像向かって左側「阿形」右側「吽形」東大寺の金剛力士像のテイストがしますが慶派の流れをくむ松本明慶氏の作だそうです。
こちらには装束等の販売所があり比較的に他所より安かったと思います。装束にも袖ありと袖なしがあり、袖なしのほうが簡単に着れて動きやすいとかで袖なしにしました。最低限の装束と輪袈裟を購入しました。笠と杖はまた今度にしました。
本堂前には拝殿があります。写真は金の温泉
こちらは本堂です。昭和32年の火事で焼失後に昭和38年再建されました。
本堂から見える太子堂。
1661年建立の太子堂は焼け残りました。
飛鳥時代のような仏像もありました。
徳島藩祖の蜂須賀家政により駅路寺と指定されてから400年以上の歴史の宿坊があります。弘法の湯は宿泊者限定となっています。左の建物は250年前の蜂須賀家の寄進によるものです。
宿坊に掛かっている提灯には丸に卍の蜂須賀紋が書かれています。
左から源泉井戸の跡、右は右は奈良から移設された「太子駒つなぎの石」
多宝塔・・この多宝塔の周囲には四国八十八か所の砂が敷かれていて、ここを一周しておすなふみをすれば同じ功徳があると言われています。
山門から入ってすぐの所に鯉が泳ぐ池のある日本庭園があります。優雅に見たいところですが今から歩き遍路で日程が詰まっていますので素通りしました。大師像の後ろのほうに厄除けのさかさ松がありましたが近年枯れてしまい切り株のみ残っています。
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