空海ウォーカーズ7番・十楽寺
◆歴史コラム・三教指帰(さんごうしいき)◆
空海は叔父の元で勉強し大学に行きますが1年で辞めてしまいます。親としては、今で言えば東大に入り首席クラスで卒業し官僚や政治家になり活躍するのを心待ちにしていたと思います。ところが大学を辞めて私度僧になり山野を駆け巡る空海を見て愕然とします。映画「空海」では修行中に実家に立ち寄った空海をみて両親は「あれは乞食じゃ!」「あれは真魚じゃない!」空海は「真魚です!」というやりとりがあり、空海は旅の途中と言い去っていきます。故郷を出た時はジャニーズ風のやさ男だったのに、戻ってみれば髪や髭は伸び放題でゴリラみたいな風貌になっていました。両親は愕然として落胆します。
空海は24才で三教指帰を書き上げます。この本は金剛峯寺に今も国宝として残っていて親族に対する出家の決意表明の書とされています。
内容は放蕩息子に手を焼いた兎角(とかく)が息子の蛭牙(しつが)を矯正させるべく儒教・道教・仏教を偶像化した人物を登場させそれぞれに自分の教えを説明をさせます。まず儒教の亀毛(きもう)先生が儒教の素晴らしさ語り、次に道教の虚亡隠士(きょぶいんし)が道教の素晴らしさを語ると一同は道教の方が優れていると納得する。最後に仏教の仮名乞児(かめいこつじ)が教えを説明すると一同はこの教えにすっかり賛同しました。
詳しい内容は割愛させていただきます。空海の大乗仏教がなにより素晴らしいというお話です。
◆7番・十楽寺◆
開基・弘法大師 この地に逗留されたときに阿弥陀如来を感得し如来像を刻んだのが本尊として祀られました。生老病死など避けることのできない苦難に10の光明と輝く楽しみが得られるように光明山十楽寺と名付けました。こちらのお寺も長曾我部の兵火で焼失した後に再建されました。
6番から7番は歩いて15分くらいでした。ここの鐘楼門も竜宮門形式です。右のアパートのような建物は宿坊になっています。
境内に入って本堂前には結構大きなベンチがありました。
太子堂ですが千社札が多く貼られていました。
ここの幔幕には徳島藩の丸に卍紋がありました、ここも蜂須賀家の寄進なのでしょうか?
中門の二階には愛染明王が鎮座しています。煩悩を悟りに変え菩提心まで導いてくれる力を持つ、息災・増益・敬愛・降伏の四つの利益があります。降魔・除災・縁結びに効果があらわれるとされています。この二階への入り口は向かって左から入れば縁結び、右から入れば縁切りとなりますのでご注意を。
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